大河ドラマ 「鎌倉殿の13人」 見ていますか?
ブログへのご訪問ありがとうございます。
NHKの日曜日の大河ドラマ、鎌倉殿の13人。
面白いですよね。
ハマってます。
学生時代以後、源頼朝がどんな人だったか、北条政子の女傑ぶりがどんなだったかなんて考えたことありません。
それが、ドラマのちょっと出だしの部分だけ見たら、
「来週が楽しみ!」
と、あっさりハマってしまったのです。
一時期、歴女なんて言葉が流行りましたね。
まさにそれです。
ネットで武将の名前をググるなんて、今まで、考えたこともありません。
(一度じゃ覚えられない名前が多いので大変)
今、私のように「鎌倉殿の13人」にハマっている女性は多いと思います。
主人公がイケメンの小栗旬さんですし、頼朝役は大泉洋さん。
大泉さんのコミカルなのか、シリアスなのかのボーダーがない演技がすごい。
北条政子も、これからどんどんその存在が大きくなっていくはずです。
実は、鎌倉時代は北条政子の時代だったという方も多いようです。
教科書で見たことがある、尼将軍の北条政子の頭を剃った顔の絵。
結局政子は、自分の旦那さんも子供も無くしてしまうわけなんですが、
朝廷と戦って尼将軍と言われるようになるんですよね。
まさに女傑。
政子役の小池栄子さん。
あの、こぼれんばかりの大きな瞳の奥を、つい覗いてみたくなります。
大泉洋さんが演じる源頼朝の弟、源義経が自害したと言われる平泉へ
鎌倉幕府のあった鎌倉には今は行けませんが、頼朝の弟、義経が自害したといわれる平泉に行ってきました。
平泉の中尊寺へ。
平成21年(2011年)に中尊寺は世界遺産になりました。
世界遺産になってからは、初めて足を運びます。
時間の空いた主人とプチ観光です。
平日で、しかも前日はけっこうな雪も降って足元が悪かったのですが、チラホラ観光されている方がいました。
中尊寺は家から車で一時間ほどなので、地元といえば地元です。

入り口に滑り止めを置いてくださっていました。


二人とも、もちろんありがたく、使わせて頂きました。
気温は3度ほどでしたが、お堂が並ぶ林の中はもう少し気温は低かったと思います。

牛若丸と言われた源義経はどんな人?
源義経(みなもとのよしつね)は、平安時代の武将です。
鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝とは異母兄弟。
牛若丸は幼名だったそうです。
平治の乱で父親が亡くなったことで、鞍馬寺に預けられ、
そのあと平泉に下り、奥州藤原氏の党首藤原秀衡(ふじわらひでひら)の庇護を受けます。
義経は戦が上手でした。
一ノ谷、屋島、壇之浦の合戦で、勝負強さを思わせる勢いをもって、とうとう平氏を滅ぼしてしまうのです。
しかし、
その後、兄の頼朝の許可なく官位を受けたことや、
合戦で勝利したことで、義経が自立し始めたことに頼朝が腹をたてます。
そのようなことが原因になって、兄、頼朝と対立していってしまいます。
結局、
頼朝に敵対視された義経は、再度、平泉の藤原秀衡を頼りました。
しかし、秀衡が病死すると、頼朝の圧力を受けた藤原泰衡(ふじわらのやすひら・藤原秀衡の息子)に責められて、
現在の岩手県平泉町にある衣川館で自害してしまったのです。
その際、義経の幼子と奥さんもいたというお話もあるようです。
義経の従者 弁慶に会った!?
弁慶(武蔵坊 弁慶 むさしぼうべんけい)は義経の従者ですね。
牛若丸と弁慶が五条大橋で出会った伝説は有名です。
国道4号線沿い、中尊寺に行くための駐車場入り口付近に、弁慶のお墓がありますが、今回は寄ることができませんでした。
でも、お墓よりも珍しいものが!!
歩いている途中に、どなたが作ったのか雪だるまがあったんですが……。
それが弁慶に見える不思議さ!
義経を守るたねに、弁慶は全身に矢を受けて、立ったまま亡くなった…。
受けた矢こそ見えませんが、このゆきだるま、そんな雰囲気出てないですか?
やられた~、みたいな(笑)
本当にそういう感じでした。


葉雫が雨のように降ってききます。
けっこうな坂を上っていくのですが、歩いていると、囲んでいる林の木から葉雫が雨のように降ってきます。
カサを持たずに入ったので、頭が濡れて寒い思いをしましたが、降ってくる冷たい葉雫に浄化されているような気がして、ちょっと気持ち良かったです。

滑らないように進んでいくと、お堂がたくさん並んでいます。




讃衡蔵(さんこうぞう)と金色堂はやっぱりすごかった!


讃衡蔵(さんこうぞう)は、奥州藤原氏が残した貴重な宝物館。
館内はほの暗く、時間が止まったようなおごそかな雰囲気です。
讃衡蔵に、入ってすぐの大仏様三体と、藤原氏の御遺体が納められている金色堂は一度見る価値があります。
讃衡蔵の入り口で共通のチケットが買えますよ。
私は小学校の学習旅行以来、何十年ぶりかで見ました。
(”_”)
秀衡が病死しなかったら、義経はどうなっていたのだろう?
頼朝と義経は、兄と弟の関係でしたが、兄の頼朝が弟を自害に追い込んだのですね。
義経には兄が目指す将軍ありきの武家政治を理解できなかった…。
頼朝は、戦上手で力のある義経に脅威を感じて邪魔になった…。
もし、義経を守ろうとした藤原秀衡が病死しなかったら、歴史はまた変わっていたのかな?
などど、いっぱしの歴女のようなことを、昼近くなって溶けだした雪の上を歩きながら考えてしまいました。
義経はなぜ、自害を選んだんでしょうか?
負け戦には手を出さず、自害することが男のプライドだったんでしょうか?

自分は奥州藤原家の末裔だと言う主人(笑)
奥州藤原氏は東北地方の豪族でした。
その範囲は平泉を中心に、陸奥国一帯とあります。
陸奥国とは、東北のかなり広い範囲です。
産まれた土地を考えると、自分は奥州藤原の末裔だと言う主人ですが(笑)
本当でしょうかね?


歴史をひも解く楽しさを知って、今度は鎌倉や静岡の伊東にも行ってみたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
まる