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ペットを看取るのは飼い主の最後の役目

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亡くなった犬の小さいころ
2008/11/17

愛犬、ココが亡くなりました。
14歳9ヵ月でした。

ある朝、6時頃です。
いつもの朝でした。

散歩を終えて朝ゴハンを食べて1分ほどのこと。


くしゃみが出たと同時に、ココは後ろにひっくり返ってしまったのです。
ふだん、動物が絶対やらない動きです。

そのままぐったりとし、呼吸が乱れ、ココの体を撫でるわたしの手に心臓の痙攣が伝わってきました。

もう止められないとわかりました。

頭も心も一瞬空白に。音がなくなりました。

夫婦でココの体をさすり、声をかけ、主人は泣いていました。

二年ほど前から耳が聞こえなくなっていたので、私たちの声はココには聞こえてなかったと思います。

でも、何度も名前を呼びました。


数分の間、
何度か苦しそうに息を吐き、その後、ココは永遠に目を閉じました。

主人とわたしと二人で見送ることができたこと。
ココがそうしたのだと思います。

翌日から主人は出張の予定でしたから。

ココは最後まで私たちのことを考えてくれていたのだと思います。

目次

犬の心臓弁膜症と肺水腫

亡くなった犬
2009/01/26

ココは5年まえから僧帽弁閉鎖不全症の薬を飲み始めていました。
小型犬に多い心臓の病気です。
ある意味、小型犬の宿命のような病気です。

ココは5キロほど体重がありましたから小型犬というわけではありませんが、両親の片方がチワワでした。

薬を飲み始めの頃は、咳も目立たず元気いっぱいに過ごしていました。

それがだんだん、だんだん、薬の量が増えていき
だんだん、だんだん、効果がなくなっていきました。

亡くなる前に飲んでいた薬は、

ピモベハート
ACE阻害薬
利尿剤
胃薬
腎臓の薬
ステロイドは一日おきに。

その他、咳止めの漢方薬も。

たくさん飲んでましたね。

ココはとにかく散歩の好きな犬でした。
一年365日、散歩をしない日は数えるくらいだったと思います。

台風か、豪雪か、そんな極端な日でなければ外へ連れ出していましたし、私たち夫婦を連れ出してくれていたココです。

散歩と食べることが大好きでした。
なんでも好きで食べましたが、特にサツマイモが大好きな犬でした。

気のいい犬だったので、
薬も嫌わず食べてくれ、手がかかりませんでした。

子どものいない私たち夫婦のかすがいになってくれた犬でした。

私たちの側にいることが当たり前になっていました。

15歳というと、人間でいえば中学生ですね。
来年は高校生です。

犬の15歳は70代後半くらいでしょう。
まだ若い、といえばそういえる年齢でした。

わたしたち

ペットと暮らしている方は皆さん同じだと思います。

大切な大切な家族ですね。

でも、ペットは寿命が短いのです。

分かっていることですが、元気なときはそんなことはあまり考えませんね。

ペットロスになって当たり前

泣くjなった犬
2010/07/24

ココが亡くなった瞬間から、毎日泣きました。

一カ月以上たった今でも、一日のどこかで泣いてしまいます。

もう会えなくなってしまったことに、なかなか慣れません。

寂しいのです。
会いたいと思う。

写真立てのココは、まるで、名を呼べば駆けて来るようにこちらを見つめています。

お骨は部屋の一番高いところに置きました。

ココはわたしたちより偉くなったのです。

高い所からわたしたちを見て、あまり泣くな、と言っているかもしれませんね。

ペットロスという言葉があります。

ペットを亡くして、悲しみの波に飲み込まれてしまう方がたくさんいます。

ある意味、当たり前のことだと思います。

体調を崩したり
ウツになったり
涙がとまらなかったり
無気力になったり
自分を責めたり
後悔したり
後追いしたくなったり

でも。

命だからこそ、死は止められないのです。
自分もいつか、同じところへ向かいます。


すごく悲しいけれど、


写真を整理したり
愛犬の写真で小物を作ったり
小さい時のことを思い出したり
元気だったときのことを思い出したり
写真に話しかけたり
撫でたときの手触りを思いだしたり
愛犬の好きだったおもちゃを抱きしめてみたり
よく散歩していた道を歩いたり

泣きながらでもいいから。

そうして、だんだん大丈夫になっていく。

きっと、ペットたちはそう願っていると思います。

ペットロスになって、思い切り悲しんでもいいんです。

それって、当たりまえなことだから。

ペットから教わったこと

亡くなった犬

ココは亡くなる二か月前から、利尿剤を飲み始めていました。

咳が止まらなくなってきたからです。

体の水分を調整して、心臓に負担をかけないようにしなければなりません。

心臓に負担がかかると、必然的に気管が圧迫されて咳が出てしまうのでした。

わたしの中では、いよいよ利尿剤を飲まなければならないのか…。
そんな重い気持ちでした。

ココは横になっては咳込み立ち上がる、を毎日繰り返していました。
大きくお腹を上下させて咳をするココ。

それは見ているわたしたちも辛いものでした。

とても苦しかったと思います。

わたしだったら、愚痴やネガティブなことばかり考えてしまう状況だと思います。

犬でも、性格によっては食欲が落ちたりするかもしれません。

でもココは頑張りました。
ほんとうに頑張り屋だったと思います。

いつも穏やかな表情でいてくれました。

体が辛かったかもしれませんが、名前を呼ぶと必ず側に来てくれました。
とっても優しい犬です。


今は、よく生きたね、とほめてあげたいです。
よく頑張ったね、と。
ありがとうの言葉を何度言ったら、この気持ちが伝わるでしょう。

悲しみも大きいけれど、ココのしんどさを考えると、
体がラクになって良かったね、と言ってあげたくなります。
それほど、亡くなるまでの1ヶ月は辛そうでした。

亡くなる寸前まで大好きな散歩をし、大好きなゴハンを食べたココ。

食後の穏やかな表情をしたココの顔は、満足気で穏やかでした。
まさか、その1分後に天国に行ってしまうなんて。

そんなココに教わったこと…。

ココは、当たり前の生活が、実は奇跡の積み重ねなのだと教えてくれた気がします。

そして、生まれてきたら、もうそのままでいいのだと。
何かになろうとしなくていい。
そのままの自分で生きて行けばいいのだということ。
肩の力を抜いて、自分を楽しむこと。

ココはそう教えてくれたように思います。

日常こそがキラキラした時間なんだよって。

ココはわたしたちの側にいただけです。
ただそれだけなのに、かけがえのない存在でした。

みんなそうなのですね。
あなたも、わたしも。

このことを知れたことは、わたしにとってとても大きな意味を持ちます。

明日、何があってもいいように今日を生きるというのではなく、

ただ今日を、自分に正直に過ごすこと。
誰かに喜ばれることをすること。

人生ってそんなふうに実は単純なのかもしれないと思います。

ココは幸せだったと思います。
なぜなら、わたしたちがとても幸せだったから。

わたしたちは確実に、見えない糸でつながっていたと思います。

病気のペットを看取る覚悟

亡くなった犬

このブログの中で、ココの病気のことを何度か書いています。

今も、僧帽弁閉鎖不全症で苦しんでいるワンコがたくさんいると思います。
同じく飼い主さんも辛い思いをされていることでしょう。

見守ることは辛いことです。
しかし、しっかり愛犬の病気を受けとめて、愛犬に頼りされる飼い主さんでいること。

飼い主が悲しんでばかりいると、その波動はワンコに伝わります。
するとワンコがさらに苦しくなってしまいます。

病気に対しては、ワンコと一緒に戦う気持ちで飼い主さんはいるといいのかなと思います。
そして、

できることを最大限にしてあげること。
ムリはしない方がいいのですが、できることならなんでもやってあげるといいと思います。

後々、そのことで自分も救われます。

そして、

いつか必ず来てしまう永遠の別れを、心のどこかでいいから覚悟しておくことが大切。

ああすれば良かった、もっと早くにやってあげたら良かった…。

こんなふうに思うことを自分で作らないコトがけっこう大切なことだと思います。

ペットはもはや、ペットではなく伴侶といえますね。

奥さんや旦那さんへの愛情は冷めることもありますが、ペットへの愛とペットからの愛は最後まで変わらないと思います。

そんな絶対的なことって、世の中にないと思うのです。

見送ることはすごくすごく悲しいことだけれど、

そんな愛を経験させてくれたココに会えて本当に幸せでした。

当ブログの記事に共感していただけたら、また読みに来て頂けるとうれしいです。読んで頂ける方の数が多くなると、更新するヤル気につながります(^^)
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